コラム:歴史に向き合う


2000年後半インドネシアに駐在していた時、会社のトイレの壁に「Romusya」という落書きがされた。労務者のこと。インドネシアでは、強制的労働に従事させられた人、というニュアンスを持っている。日本の占領時代から60年以上たった後でも不満を表明する時に日本の占領時代が蘇るのです。

2010年前半のオランダ駐在時代には、近所に片言の日本語を話すおじいさんがいました。その方は、インドネシアで日本軍の捕虜となり、東京近辺の収容所にいた経験があり、その時に覚えた言葉がまだ記憶にあったそうです。もちろん、我が家には何の恨みもないことは態度からよく分かりましたが、なんとも声のかけようがありませんでした。

また、同じオランダ駐在時代に、同僚から日本語の資料のコピーを渡され「親戚に関する資料だが、何と書いているか教えてほしい」と依頼されたこともありました。
それは、第二次世界大戦中に日本軍が作成した、捕虜となった人の履歴を書いているカルテのようなもの。内容は、ジャワ島で捕虜になり、泰緬鉄道の建設工事に従事し、そこで病気で亡くなったことや埋葬場所を記載しているものでした。50年以上も前の戦争中の事ではありますが、日本人として限りなく申し訳なく思ったものです。
泰緬鉄道と言えば、太平洋戦争中に日本軍が連合国軍捕虜や東南アジアの住民を使って、タイとミャンマーをつなぐためにジャングルを切り開いた建設した鉄道のこと。食糧不足やマラリヤなどの病気によって、動員された数十万人の内半数が亡くなったと言われるほどの過酷さで知られており、英語ではDeath Railwayとも言われている。当時労働に狩り出された人の苦労は想像を絶するものだった思います。
せめてもの手向けにと、記載されていた作業基地名を手掛かりにして、泰緬鉄道の記録から、亡くなられた場所を地図上で特定し(ミャンマーとタイの国境近くで、グーグルマップでは今はジャングルしかない場所だった)、資料の翻訳と、できる限りのお悔やみの言葉を伝えました。本人からは大変感謝されたけれども、全く心が晴れませんでした。


かつて日本が行ったことは、直接自分は関係ないけれども、こういったことがあることは日本人として忘れてはいけないと思います。
海外にいると、自分の様に、思わぬところで日本では意識することが無い「加害者国の国民」という立場に立つこともあります。

じゃあ、どうしたらいいのか?
最低限の歴史の知識と謙虚な気持ちをもった立ち振る舞いがあれば良いと思います。歴史的な事実はどうしようもないし、駐在員は相手の国に住まわせてもらっている立場なのだから、静かに受け止めればいいのではないでしょうか。
時折、歴史の真実とか正しい歴史、といったことにこだわる方がおられますが、そこはこだわるポイントではないと考えています。リンゴを見て、「赤い」と感じるか「丸い」と感じるか、人によって一つの事象は感じ方・とらえ方は異なるのと同じで、歴史的事象についても、立場で物事の見え方は異なってもおかしくありません。
言えるのは、違う捉え方があることを前提として、お互いの感じ方を誠実に受け止め、尊重する、そんな振舞い方ではないのかな、と。そういうスタンスが海外駐在では特に大切なのではないかな、と思います。

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