日本人「英雄」から思う駐在員の責任


駐在者としての心構えとして忘れないようにしていることの一つに、日本人駐在員先輩の「置き土産」を大事に次に引き継ぐことがあります。なぜそんな思いを持つに至ったのか、これからの駐在員になる方々にも共有し、次の世代に引き継ぎたい思いで、今回の記事を書いています。

「英雄」と呼ばれる日本人がいた

インドネシアに赴任するまで知りませんでしたが、インドネシアには「英雄」と呼ばれる日本人がいました。

太平洋戦争が終わり、日本が撤退すると、インドネシアでは再度の支配を試みる旧宗主国オランダからの独立戦争が始まりました。その時に、日本に帰国せず、独立義勇軍に参加した日本兵がいたのです。

インドネシアが独立を果たした後、彼らは「英雄」として称えられ、亡くなると、インドネシアの英雄墓地に葬られました。
自分がインドネシアにいた2009年は、まだご存命の方もおられました。大学で近代史を研究していたけど、日本人でリアルに「英雄」と呼ばれる方達がいるなんて知らなかったので、結構びっくりしたものです。

その後、日本政府は、戦後賠償を兼ねてインドネシアへ積極的に支援・投資や人的交流(留学生の受け入れ)を行い、インドネシアの近代化を後押ししました。この結果、インドネシアは東南アジアの中でも有数の親日国となり、最初の赴任地として恵まれていました。

インドネシア出向時の先輩は、80年代のインドネシアのタクシーはぼろぼろで、車内の床の隙間から地面が見えていたとか、定期的にシンガポールまで日本食材の買い出しに行って、その都度冷凍食品を持って帰った、という苦労話を教えてくれました(今でも過酷な駐在地では同様な環境で生きている駐在員もいると思います)。

2000年代後半自分が駐在したジャカルタには、日本食スーパーが3軒あり、お金さえ出せば日本的な食生活に不自由しなくなっていました。それが無かった当時の苦労は相当なものだったと思います。

日本への好意は歴史の中で築かれた過去のもの

独立のころからインドネシアを応援し、独立後も成長を支える日本があり、日本食もなく移動・通信手段も発達していなかった時代に、日本の看板を背負ってインドネシアに飛び込み、現地の人に貢献し、受け入れられていた先達がいた事実。

実際に見聞きすることで、すごい遺産長い歴史の中で築かれていたんだと知りました。だからこそ、未熟で海外生活の経験もない現代の自分がインドネシアにポンと行っても受け入れられた、生活ができた一つの要素だと強く思いました。

別の言い方をすると、今の日本人を受け入れる素地となっている親日感や日本への信頼感は、過去の先達の置き土産であり、今の駐在員はその恩恵に浴している身だったことに気付いたのです。


置き土産は次の駐在員にも引き継ぎたい

だからこそ、今、駐在員である自分がしないといけないのは、先達の置き土産である「日本人駐在員が受け入れられる環境」を大切に守り、育て、次の駐在員もその恩恵を得られるようにすること。
なぜなら、受け入れられる環境は長い間先達がリアルに血や汗を流して築いてきたもので、自分の世代で消費してしまうものではないからです。今風に言えば「サスティナビリティ」でしょうか。

現代の駐在員としての自分の振る舞いの規範として、責任の自覚を大切にしたいといつも思っているし、次の世代もそれを次の次の世代に伝え、より日本人駐在員が活躍できる環境が広がるといいな、と願っています。

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