海外駐在とは人と違うことが当たり前の環境

数百人のオランダ人の中に一人だけ日本人


同調圧力が高い日本社会では、人とちょっと違うことを選ぶことに勇気がいる場面が少なからずあるのではないだろうか。会社で上司と違う意見を言う、みんなが参加する宴会や会社行事に参加できない(しない)時、少し悩ましくなることがあると思う。
海外にでれば、違うことが当たり前すぎて、同調圧力へのストレスも減るかもしれない。

「海外に住む」ということは、自分が、とある社会にとって“異物”になる事。どこに行っても目立ってしまう。オランダにいた時、会社を統括する役割を与えられていた都合上、取引先関係者の葬儀に参列することが少なからずあった。数百人のでっかい白人のオランダ人の中で、一人だけ小っちゃい黄色人種がいる事なんて、違和感ありありで正直苦痛だった。


海外では人と違うことが当たり前

でも、そんな異物感を抱えた生活をすることで、人と違うことへの耐性が多少なりともできたのも事実。そもそも、外国では、日本ほど同調圧力が高くないことが多い。別の言い方をすれば、人それぞれが違うことを前提にしていて、“異物”だから排除される、というわけでもないのだ。

多民族国家インドネシアに見る言語


インドネシアはそれが非常に分かりやすい。民族が300位あり、言語はそれ以上と言われている。1億人位いるジャワ人にとってはジャワ語が母語だし、4千万人いるスンダ人にとってはスンダ語が母語。

インドネシア人はインドネシア語を話す、とされるが、家を出たら出会う、別の民族とのコミュニケーションにも使われるツールとしての側面がある。

彼らの生活は別の民族といることが当たり前。中華系とジャワ系は明らかに見た目が違うし、生きていく上で欠かせない食事でもイスラム教徒なら豚肉はハラルなので口にはしないが、中華料理では多用されている等、正直みんなばらばら。

マレーシアやオランダで見る多様性


マレーシアでも、電車の乗客はマレー系・中華系・インド系といった見た目が明らかに違う人々(でも皆マレーシア国民)が普通に入り混じっているし、オランダはゲルマン系が多いものの、HEMAという無印良品のようなチェーン店では、ムスリムの女性用の被り物を普通に売っていたりして、多様性が当たり前の生活が営まれている。

もちろん軋轢だってある。インドネシアでは97年のアジア通貨危機の時は、経済的に恵まれていた中華系の町が焼き討ちにあって大きな犠牲が出ることもあったが、そういった異常事態を除けば、ほとんどの人は相手との違いがあることを前提として社会生活を成り立たせている。


海外赴任で自立した自分を作ろう


そんな社会を実際に経験すれば、違うことへの恐れも少しは減ると思うし、違わないことにこだわる日本社会が、実は特殊なんじゃないか?という気すらしてくる。

自分の考えに基づいて生きる道がある


そうなってくれば、自分の意思に反して自分が属している小さな社会のルールに従うことが人生唯一の選択肢ではなく、自分の考えに基づいて生きてく道もあるんじゃないかって考え、行動する勇気が出てくると思う。海外赴任はそんな自立した自分を作る良い機会になる。

当ブログの記事(海外赴任する前に読んでおきたい本)で紹介している「僕たちはガンダムのジムである」というキャリア本が言う通り、ほとんどの人たちはスーパーキャリアマン・ウーマンにはなれない“量産型“の社会人だけれども、ちょっとだけ人と違う道を歩むことはきっとできると信じている。

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