駐在員はエリート意識ではなくプロ意識を持とう

エリート意識は海外駐在の役には立たない!

海外赴任する人がエリートでもなんでもないことは、当ブログの「駐在員とは選ばれしエリートか」や「海外駐在はエリートコースなの?」で繰り返し述べてきた。

そもそも「エリート」ってなんだろう?手元の明解さん(国語辞典)によれば「選ばれた少数の人々」だそうだ。

日常の言葉使いとしては、学歴や家柄、社名、肩書など自分についているラベルが醸し出す「他の人と違う」感=選良民だよ、という感覚か。

でも、「エリート」というラベルは海外赴任や海外駐在にはさほど役に立たない。

たとえば東京大学を出ていたとしよう。東大は日本のトップ大学だが、世界的な高等教育機関の調査会社QS Quacquarelli Symonds社の2018年報告23位。アジアでもトップではない3位。
ま、これでも十分すごいのだが、世界には上には上がいるもの。世界の多くの人は、東京大学出身と聞いても、それが日本のトップ大学出身者だとピンとこない。そんなものなのだ。

実際、自分も3度の海外赴任で、大学名を聞かれたことがほとんど無い。駐在中に一度聞かれた時に正直に答えたものの「ふーん」という相手の反応を見て、ケンブリッジやオックスフォード並の知名度の大学でもなければ、大学名など意味が無いことを悟った。



駐在員=評価の受験資格を得た人≠結果を出せる人


でも、駐在員は候補の中から選ばれているからエリート、つまり「選ばれた少数の人」じゃない?と思う人、甘い!

駐在員に選ばれたのは、海外赴任のチャンスをもらった、という意味であって、あなたが優秀かどうか、これからの時代を生き抜いていく能力を持っていると認められた本当の意味での「エリート=選ばれた人」かどうかは、駐在を終えた時の周りの人の評価で決まってくること。自分で決めちゃうのはただの自己満足。

なので、結果が出ていない海外赴任中は、単に「選ばれている」ステイタス。結果が伴うか、すなわちそれにふさわしい実力・中身があるかどうかは全く別の話。

言い換えれば、「駐在員に選ばれた」ということは、エリートとして認められたのではなく、受験資格をもらったようなもの。大切なのは、3年、5年の海外赴任中の「受験期間」で出すアウトプットではないだろうか。

ブログ記事「海外転職を考えている人へ」でも触れているように、海外駐在員の本質は、人生の「目的」ではなく、生きる力をつけつための「手段」だということを考えると、選ばれた時点で思考訓練や実践を終えてしまっては意味が無い。

そういう理由で「受験期間」即ち限られた海外赴任期間でアウトプットを出すための考え方として、エリート意識ではなく、プロ意識を持ちたい、といっている。



駐在員がエリート意識を持つのは百害あって一利なし


エリート意識(=選ばれた人意識)を持ってしまうと、知らず知らずに、上から目線や、自分の意見の押し付けにつながって周りとうまくいかず、結局良いアウトプットにつながらない可能性が高くなる。

じゃあ、海外駐在においてプロ意識とはどんなものなのか?

記事「駐在員に必要なスキル①~③」に詳しく説明した通り、以下のような内容になってくる。

 ・理性的であること(感情的でないこと)
 ・相手の気持ちをよく理解する、自分の考えをきちんと説明する
 ・常に客観的な視点を持つこと
などなど・・・

ひょっとしたら、海外赴任していなくても同じかもしれないが・・・。

こういった意識の上で、駐在先のローカルのメンバーと共に、解決しないといけない課題にきちんと向き合うことで、より良いアウトプットにつながり、「受験期間」中にきちんとアウトプットが出せることにつながるだろう。




海外駐在の目的は、生き抜く力を身につけるため


海外駐在をお勧めする目的は、変化が早く大きい以下の時代を生き抜く力を身につけるため。この目的を忘れないでほしい。

異文化に身を置き、新しい知識や経験を得ることで、今まで日本で自分を取り巻いていた環境を客観視することになり、新しい環境にも柔軟に適応できるようになる。それはいわば、自分の人生に保険を掛けられるようなもので、人生の選択肢が増えることになるのだ。そのためにも、人の話を聞き、いろいろな知識を得ていくことが近道。

そう思えば、上から目線のエリート意識よりも、たくさんの人と協力し合って結果を出していく目的意識、即ちプロ意識の方が適切、ということもおのずと見えてくるのではないだろうか。

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