寒い季節になるとオランダの冬を思い出す。運河が凍ると、にわかスケートリンクが出来上がり、家の近くでスケートが楽しめる。
なので、氷点下の日が続くとワクワク感が高まる。こんな経験は、自分が住んでいた西日本では味わえないものだった。
それと同時に、寒い季節は、「寒さ」という肌感覚って人によって違うんだなぁという、海外駐在を通じて得た異文化理解の経験も同時に思い起こす。
勿論個人差もあるだろうが、同じ気温でも感じ方は全く異なるという場面に海外駐在中何度も直面してきた。今回は、そんなことをネタに駐在の醍醐味である異文化理解の話。
海外駐在を通して感じた「肌感覚」の違い
セントラルヒーティングを巡って
ヨーロッパでは、屋内にセントラルヒーティング(油や温水を循環させるパネルヒーター)が設置されていて、外がどんなに寒くても家中一定の温度に保たれており、薄着で過ごせて快適。もちろん、オフィスにもある。そこで肌感覚の違いに出会う機会があって面白かった。
オフィスでは、マネージャー以上に個室が与えられていた。ヒーターの温度を自分の好きな温度に設定できた。
自分は冷え症なので、どうしても高め。温度は22
度前後だっただろう。
来る人来る人、入るなり、「これ何なん、あっつー(実際は英語です)」と顔をしかめる人が多く、中には窓を開けて氷点下の空気と入れ替えようとする人もいた。
確かに、他のマネージャーの部屋に行くとうすら寒い。温度を聞くと、18度に設定する人が多かった。それくらいが程よいそう。全くの憶測で極めて主観的な言い方だが、全体的に日本人よりも「鈍感」な人が多かった気がする。
寒くても夏時間だから半袖?
冬時間への切り替えも近い10月下旬、オランダは最低気温が10度を切り始める時期で、日本でいうと、12月初旬位の冬の始まりの気候。隣のマネージャーの部屋に行くと、なんと半袖。
「ええ!なんで半袖??」
「まだ夏時間だからねー」
「いやいや、そうはいっても、温度下がってきているよね?もう10月だよ」
「その日によって長袖にするか半袖にするか、考えるの面倒だからね。
夏時間なので半袖」
「あ、そう・・・・」
面倒とか、そういった問題ではないのだが、ま、本人が良ければそれいでいいのだが・・・。当人は別に鳥肌立っていたわけでもなく、本当に寒くなかったんだろうと思う。
日本で12月に半袖来てたらなんちゅう季節感やねん、と言われるだろうが、ところ変われば、随分違うものだなぁと妙に感心した記憶がある。
11月に屋外プールで遊ぶ子供たち
ブリュッセルにあるミニヨーロッパという施設にいった時にも目をみはる光景に出くわしたことがある。
ミニヨーロッパの横には屋外プールがあるのだが、11月下旬、子供たちがきゃあきゃあと楽しそうに滑り台を滑ってプールに飛び込んでいるのだ。
温水とはいえ、プールの横で冬用ジャンバーを着て歩いている人がいるのに、屋外でプールに入るなどちょっと想像を絶する世界・・・。これまた、ご本人達が良ければそれでよいのだが、おなか冷やしたりしないのかな、と素直に思ってしまった。
他にも、股上が短いズボンをはいて、屈んだ時におしりがポロっと見える場面にも、老若男女・スタイル問わず、遭遇したが、ご本人達は全く気にしていない。
多分だが、肌の感覚(神経)が日本人ほど無いんだろうというのが自分の中の推論。
自分が知る限り、西洋人は概して「鈍感」なんだと思う。これだけ鈍感だったら確かに新世界に切り込んでいって、世界を支配できるわな、と勝手に納得してしまった。
「鈍感」なのは西洋人だけではなかった
ところが、マレーシア人との付き合いが増えると、これまた肌感覚の違いに直面。
こちらはキンキンに冷やすことが常で、オフィスの中は20度位まで冷房がかかっている。ツインタワーの中に入っているミュージアムにいった時は、特に激冷えで、涼しいを通り越して「寒い」。壁のエアコンの設定を見ると、設定は18度。そりゃ寒いわな・・・。それでも薄着のローカルは意に介していない。
一方、彼らが12月や2月の日本の冬に来ると、これまた薄着。
薄手のジャンバーとか、ジャケットのみ。「寒いやろ?もっと厚手のコートいらんの?」と聞くと「荷物になるし、そんなに寒くないよ」とのこと。
そう、彼らもまた温度にはそれほど敏感ではなかったのだ・・・。温度感覚よりも、合理性を選ぶのだった。
駐在を通して違いを知ることの面白さ
こういった場面に出会うたびに、違いがあることを知る面白さが深まっていく。この辺りに海外駐在がやめられなくなってしまう理由があるのだろう。
こうやって、駐在を通じて「えっ」という経験が日常的に積み重ねられていく結果、多少の事には動じなくなっていく。ところが、日本では想定外のことに出会わないため、ちょっとした違いや変化に敏感になり、不安を感じがちになってしまいがち。
どういうことか?
期待値と現実のずれが小さい日本
日本では、何事もきわめてよくアレンジされており、スムーズに物事が進むようになっているし、実際スムーズにモノ語が進むことが多い。電車は分刻みのダイヤ通りに走っているし、スーパーで目的の商品が数日間手に入らない等考えられない。
日本では自分の期待値と、目の前にある現実が違うことが少ないのだ。
ところが、海外ではどこのスーパー回ってもいつもの銘柄のオレンジジュースが無い日が続いたり、信号機が消えていることなど日常茶飯事。そんな場面に出くわしてため息も出るものだ。
駐在してズレに出会うから「生きる力」が養える
でも、期待値と現実がズレる場面に出会うことで、ストレスに耐え、自分で考えるきっかけとなり、そこを打開するためのアクションにつながっていく。つまり、海外駐在は自分の頭を使って動く、「生きる力」を養う環境に置かれているといえるだろう。
(おおたとしまささんが「生きる力」についてここでとても分かりやすく説明してくれている。乱暴にまとめると「何かが足りないアウェイにおいて、手元にあるものだけで困難に立ち向かう知恵と度胸」ということ)
海外にいると、想定外が普通にありすぎて、想定外を恐れる気持ちや、想定外をネガティブにとらえる気持ちが減っていく。これが、駐在すると多少のことには動じなくなる理由。
そして、これこそが生きる力の源ではないだろうか。ここに海外駐在をお勧めする所以がある。
じゃあ、どうしたら海外駐在を目指せるのか?気になる人はこちらの記事をどうぞ。
海外駐在員になる方法って?
たかだか、寒さに対する感覚の違いの話だが、それなりに奥が深い話ではある、ということをエアコンが効きすぎて指先が冷たくなったマレーシアで書いてみた。
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